素敵な国際交流がありました。

こんにちは、やまみーです。

 今日は、ご縁があって素敵な海外交流をした仲間の体験談をシェアしたく思います。

 

 

私はこの数年間、たくさんの木に会いに行き、古代の同盟が再び結ばれますようにとの願いを込めて木のオリエンテーションに取り組んできました。

 

特に樹齢の高い古木は賢者でもあるため、私はオリエンテーションされた彼らに「私に人間として、スピリチュアルな道を歩む者としてなすべき事を教えてください。」とお願いをしていました。そうすると不思議と風が強く吹いたり、一滴の雫が頬に落ちたり・・・何かのサインとも思えるような現象がおきることもありました。

 

私の願いが届いたのでしょうか…?この9月にダニエレア・カステルさんと縮景園の被爆樹木である、樹齢200~300年のイチョウに会いに行くチャンスが訪れました。

彼女は人間と自然をつなぐ活動をされており、ご友人の中には広島の被爆樹木の種や苗木を世界に広める「グリーン・レガシー・ヒロシマ」に深く携わる方もいらっしゃる、美しく感性豊かな女性です。

 

実際のところ、私は被爆樹木に初めて会いました。隣県に住みながらも関心が薄く無知でしたが、それ以前に知るべき広島の歴史にも目を閉ざしていたのだと気づきました。

 

皆さんは「被爆樹木」をご存知ですか?

被爆樹木とは、原爆の爆心地から約2kmの範囲内で焼失を免れた樹木です。

爆風や熱線、放射能の影響を強く受けながらも生き延び、悲惨な状況の中でも芽吹いた緑の葉に生きる希望を見出した人たちもいたようです。

戦後79年目の2024年現在、戦争の体験を語れる人が少なくなっていますが、被爆樹木は「声なき語り部たち」でもあると写真家の木村早苗さんは言います。

 

爆心地から1370mの場所にある縮景園には原爆投下後に大勢の被爆者が逃げ、荼毘に臥されることなく埋葬されたという悲しい歴史があります。

 

イチョウは原爆による火災の影響で幹の1/3がケロイド状になっていますが、傷口からいくつもの新芽を出しています。秋にはたくさんのギンナンを実らせるそうで、お世話をする樹木医の堀口力さんは「母の木」と呼んでいます。

 

私には青々としたたくさんの葉っぱが傷ついた幹を覆い、生きる希望とは何かを教えてくれているように感じました。

そしてオリエンテーションを終えてイチョウにお礼を伝えると、急にフワーッと風が吹き、イチョウの枝を揺らしました。

 

この10年ほどで広島の被爆樹木は約170本から159本に減っているようです。これからも少なくなっていくのでしょう。

 

多くの方が被爆樹木の保存や平和活動に貢献される中で、私は被爆樹木が生きている間に会いに行き、木のオリエンテーションというダマヌールのプロジェクトに取り組むこと、そして戦禍を生き延びて様々な物語を宿す被爆樹木の歴史を学び、その重みを受け止められる人間となることを目標にしたいと思いました。