彼らは一緒に生きている仲間です

私は、老人介護以外に障害者の介助の仕事もしている。
その仲間たちの中にいると、仲間ってなに?人とのつながりって、助け合う事、共に生きていく、という事をたくさんの場面で見せられ、考えさせられる。
仲よく働いているときもあれば、怒鳴りあっているときもあり、トラブルも尽きないが、ユーモアセンスの中、笑いも絶えない。
介助者の手を借りながら、地域の中で共に暮らし、食事をし、遊びに行き、仕事しをし・・・。
とんでもないことが起こったり、カオスの中にいるけれど、愛がある。
そこの職員のある人のこんな言葉が耳について離れない。
 
「彼らは一緒に生きている仲間です」
 
よくある言葉なので、本当にそう思ってるの?って感じがしないでもない。
でも、私は彼らが共に働くその現場へ仕事に行くたびに、それを肌で感じ、介助するとかされるとか、という壁を超えた空気感から、その言葉は決してきれいごとを上っ面で言ったのではないと強く感じる。
 
そう感じた実例はいろいろあるけれど、最近こんなことがあった。
そこのある職員の方のお子さんが急死なさって、お別れ会に、わんさか仲間たちが集まっていた。
みんな涙で目をはらし、もしくは、何が起こってるのかわからず、なんとなくワラワラと集まっているだけの人もいたり、でも、愛をもってお別れをしている優しさに室内が満たされていた。
そして、お葬式が終わり、また普通の日常に戻り、お子さんを亡くしたその方は、いつものように仲間たちと目まぐるしくエキサイティングに働いていた。
悲しみはもちろんまだ癒えてないでしょう。
夜、仕事が終わったほっとした時間に一人で泣いているかもしれない。
でも、仲間といつものように働き、共に生きることで、悲しみばかりにのまれず、癒されていく時間を過ごしているように感じられた。
 
「彼等は一緒に生きている仲間です」
この時代、そういった仲間がいると、胸を張って言える人たちがどれだけいるだろうか。
 
いま、そうなりたいという時代の動きが、少しづつ増えてきている。