(前編より続く)
インドのアシュラムで体験したことは、私の人生を360度変えてしまうものだった。一回転して螺旋を一段階登った感じ。
日本に半年ぶりに帰ってくると、そこは外国のようで日本人が外国人のように見えた。日本はなんて整然と整った国で、人々は皆物静かで、規律正しく、無表情で窮屈なほど礼儀正しいのだろう。
インドというカオスな社会、アシュラムという世界中から探求者が集まるインターナショナルな場所、乾季と雨季の落差のある大陸の激しい気候が当たり前になってしまうと、かえって日本が新鮮に見えるものだ。
さて、私は、以前とまったく違った次元で生き始めた。
私の人生は、すべて瞑想というものがベースになって動いていった。
そして、普通の社会にありながらも、その仲間とともに、探求の道を、楽しみながら、笑いながら、愛し合いながら、共に生きるつもりだった。
それが一体どうして、ダマヌールなんてものに目覚めてしまったのだろう・・・・。
それは、もう宿命、としか言いようがない。
30代後半だっただろうか、ある小冊子にダマヌールの紹介が書いてあった。
その中の、特に、神殿内の不思議な文字と芸術的な壁画やステンドグラス、そしてまた、さまざまな探求の道(言葉道、騎士道、芸術の道、オラクル道、等々)があるという事に、どうしようもなく心が強く動かされてしまった。
心が動いてしまうとどうすることもできない。
それからしばらくして、地元で「ホロスの道」というセミナーが行われることを知った。そのころ、セミナー代を払うことやその他いろいろと障害があり、それに参加することはほぼ不可能だった。
が、魂は騙すことはできないものだ。
ある、シンクロニシティーな出来事が起こり始めた。
フェニックス、というキーワードが一つやってきた。
それは、ホロスの道のセミナーの講師のフェニーチェのことだと直感した。
見て見ぬ振りすることはできなくなってしまった。
これは何としても行けってことなのか?
そういう時は、私は全部で3回、つまり、あと二回、この2,3日のうちにフェニックスの文字なりサインなりが来たら、魂のGOサインだと受け取ろうと決めた。
恐る恐るだった。このサインを受けるのは。
しかし、サインはやってきてしまった。
何の気なしに買って読んでた本の中に、そして喫茶店の看板に、そのサインは現れ、自我は抵抗しながら、私は魂の声に従った。
そうして、私はとうとうダマヌールのメディテーションスクールの門をたたくチャンスに巡り合えたのだった。