ダマヌールにたどり着くまでに、とてつもない試練といえる体験を経てきた人ばかりではありません。
私は38歳の時にダマヌールを知り、すぐにセミナーに参加し、ダマヌールにも行ってみました。その後、メディテーションの学校に入ることを選択しました。
30歳くらいのときから急に前世に興味を持ち始め、その後精神世界の本を読み漁っていましたが、36歳のときに10年近く勤めていたメーカーを退職して、2年くらいの間は働かずに自由に過ごしました。
会社勤めをしながら、自分にはもっと合う場所があるにちがいないと、ずっと思っていました。仕事の面だけ見れば、正社員をやめてしまい、非正規雇用の再就職をするのに、後々大変な苦労をすることになったのですが、ダマヌールに出会えて今の自分があるのだから、英断だったと言えます。
充電期間と決めて、海外旅行に行ったり、好きな合唱をかけもちしたり、フラメンコを習ったり、自己を発見するセミナーなどにもあちこち顔を出したりしていました。
ダマヌールとの出会いは、そんな折に受け取ったある講演会か何かの変更のお知らせの封筒でした。
その封筒か用紙に小さく印刷された、ダマヌールの連合体のデザインに惹きつけられたのです。
これはあまりにも小さな出来事でした。でも、あとでダマヌールの過去生リサーチを受けたときに、最初にでてきた過去生で、「路傍の小さなもの」をいつも愛でている人であったことがわかり、小さなものに目がいく性質を今生ももってきているので、納得がいきました。
ついでにいえば、その最初の過去生ででてきた人は、おとなしい人であり、もちろん、まったく異なる性質のパーソナリティーたちで私の魂は構成されているわけですが、こと何かを選択するというときに、これまで「ただなんとなく」選択することが多かったように思います。
よくいえば直観的ということでしょうが、ダマヌールを選択するときも、深くあれこれと考えるよりも、直感に導かれるままにしました。魂の声に従ったともいえます。
ダマヌールの人々は人類の見本ともいえるほど、一人一人の違いが際立っています。聖人君子は一人もいません。
私が所属するダマヌール東京のメンバーも然り。一人一人の役割を見出し、それらをうまく使って協働できるように、コミュニケーションにも苦労しながら、日々訓練しているようなものです。
でも、同じ目的に向かって、ともに進んでいく仲間がいることが、今の人生を生きるうえで、なくてはならないと感じています。
あなたもダマヌールに近づいてみませんか?
CETONIA