剥きだしの魂

僕は毎日、自閉症の子ども達のいる現場で働いています。
以前、5年間だけ、小学校で働いていましたが、表題のものを探し続けた結果、今の現場に至りました。

日々、本能と本性を剥きだしにして、満面の笑みで体当たりしてくる子ども達へ、尊敬の念を抱き始めたのは小学校で働いていた頃。
あらゆることに慣れ、上手になっていく運命にある僕の細胞を、一瞬にして再生させる強烈な光。
その光を遮り、あらゆることに慣れさせ、上手にしていくことで、僕は彼らを大人に変形させてゆくのか・・・。
子どもを先へ先へ急かし、常に引き伸ばし続けることで得られた人材軍で、一体僕らはどんな社会をつくりたいのだろう?
子ども時代は大人になるための準備期間なのか?
子ども時代だけで人生が完結するとしても、同じように先へ先へ人生の照準を合わせて、引き伸ばし続けるのか?

頭が疑問だらけになったその頃に、僕は自閉症の子ども達と出会いました。
上記のような疑問に疲弊していた僕には、彼らの一挙手一投足が、剥きだしの魂から漏れ射す生命の光線のように見えました。

突然叫び、走り出す子もいれば、刺激を入れるために自分を叩いたり、それがこちらに向いてくることもあります。現場はいつも気の張り詰めた、魂との真剣勝負です。言葉による意思の疎通が困難である僕の現場では、彼らの目つきや声色を情報源にして、魂の叫びに耳を傾けることが、求められる最重要の仕事です。

彼らが隠すことなく発信し続けている、魂の叫びを理解することができずに感じる無力感は、僕が今まで感じたことのある無力感の中でも、とりわけ純粋なそれでした。剥きだしの魂を前にして、それを受け止めるべき自分の魂は、あまりにも分厚く包み隠されていたのでした。

スピリチュアルな人が増えつつある今、そのスピリットを剥きだしにして生きている人は一体どれくらいいるのだろう?
剥きだしの魂たちに出会って、おやまた疑問が増えてしまった。。。

『魂の肖像』セミナーを受ける人たちの魂は、少なくとも剥きだしたい側の魂たちなのかもしれない。

 CLIONE