ブラールタレイ誕生のエピソード(1)

ワンデイセミナー「ブラール・タレイ」の終了間際に、シャーマがBRAL TALEJのカードを創作した時のエピソードを話してくれました。


シャーマはハワイにいた時代はアリスタ・クロウリーのカードを使っていたのが、2001年にダマヌールに来てからダマヌールで使われていたタロットを使い始めた。しかし、当時ダマヌールで使われていたカードはどこか自分の感覚に合わないと感じていた。


ある朝起きた時、ダマヌールの聖なる言語のシンボルを使ったカードを作ったらというアイデアが閃いたので、早速ファルコに会ってそのアイデアを聞いてもらった。

ファルコは「ぜひやりなさい」と即答し、後押ししてくれた。


けれど、当時はまだ聖なる言語がダマヌール市民だけに公開されてた時期で、それを一般に公開するというアイデアに、当のダマヌリアンたちがびっくりしてしまった。何人もの人がそのことを心配してきたが、自分はファルコにOKをもらったのだから大丈夫だと思っていた。


最初はダマヌールの芸術家たちの中から4人に、聖なる言語を使ったカードの絵柄をデザインしてくれるようお願いして、出来上がった4種類のプロトデザインを持って行ってファルコに見てもらった。ファルコはそれらのデザインを見て、良いとも悪いとも言わず、うーんという感じでじっと見ているだけだった。


そこでシャーマがはたとひらめいて「ファルコ、あなたのセルフィック・ペインティングを使うことはできますか?」と聞いたところ、ファルコは「もちろんだ」と承諾してくれた。それから1年かけていろんなセルフィック・ペインティングを調べてその絵の一部分を使ったり、全体を使ったりしてカードを完成させた。


出来上がった最初のカードをファルコに届けると、ファルコはそれを「人類の神殿」のとある部屋に持って行き、神殿のパワーがそれに宿るように、そうすることで一般に販売される全てのカードにも同じような力が宿るようにしてくれた。



ファルコは亡くなってからも、様々な形でダマヌリアンたちに指示やメッセージを届けてくれますが、シャーマには「ダマヌールを世界に紹介するツールを作ってくれてありがとう。」とメッセージをくれたそうです。


ファルコは全てお見通しで、新しい、開かれたダマヌールが世界に持って行くツールとして、ブラール・タレイが必要だとわかっていたのでしょうか?


​(その2に続く)​