《前編の続き》
もう、本当にびっくりして
「ど、ど、ど、どうして!?」
と聞いてみたら
「日本にいる樹から、聞いてたよ」
との返事。
そう、確かに日本のある場所で、ある木と私はお話をよくしていたのだ。
その瞬間「その木に違いない、」と思った。
彼は、いつも私にいろんなことを教えてくれていた、いつも笑っているわたしの親友であり、尊敬するお兄ちゃんみたいな大切な存在だった。
自然の樹々や精霊たちの一緒に住む地球、それをどうやったら、大切にしていけるのだろう。何ができるのか。どうすればいいのか。
すっかりわからなくなり、日本のそのお兄ちゃんの木にいつも訪ねていた。もうわたしどうしたらいいのーと泣きながら会いにいったこともあった。
その木は、私の悩んでいる様やその質問がおもしろいかのように何も言わず、ただ微笑みながら「大丈夫、いまにわかるよ」とニコニコしているだけ。そして、キラキラのやさしいエネルギーをその葉っぱの間から降り注ぐ。すると私はその幹の麓で、安心して眠るのだった。
そのとき、「無償の愛」というものを感じた。
彼らは、愛を知っている。
私たち人間は、彼らから本当の愛を学ぶ必要がある。
わたしは、彼ら植物たちや精霊たち、自然からそれを教わりたいと思った。
サーキットの中で、その時感じたエネルギーと同じエネルギーが、歌声と共に降ってきた。そして無償の愛というのを、ふたたび感じた。
その日は、もうその感動と驚きの余韻で、ダマヌールで丸一日ひたすら泣いてた。
樹々達がお話をすること、みんなが一緒に存在しているのは感じていたけど、
こんな地球の反対の遠いところでも、彼らはまるですぐそばに居るみたいに、意識でお話ができるそ存在である事をあらためて想い、尊敬の念、彼らを守り、大切にしていかなければという思いがあふれる。
わたしはそのサーキットの中心に立ち、ここが自分の魂のふるさとであること、自分の使命がある場所であること、そしてそこにようやくたどりついたと感じたのだった。樹々達の笑顔の中で「いままで生きていて、本当に良かった」、と日本のお兄ちゃんの樹を思い出して「そういうことだったんだね。やっといまわかったよ」と心の中で叫んだ。
先月の6月ダマヌールに訪れた際、そのサーキットが新しく整備されていた。そして、そこに看板が出来ていた。
「音楽のサーキット」「歌のサーキット」どちらだかだったか忘れてしまったけど、看板にそのらせんの名前書かれていた。「そうだったんだね。だからあんなに素敵なハーモニーで歌っていたんだね」と納得。そのサーキットの横を通りすぎ、「ありがとう」声をかける。
ずっと友だち。
そして、これからはもっと友達。
Maltese