取手にあるダマヌール東京センターは変貌を遂げつつある。
先週末から、セルフィックペインティングのある大きなお部屋や、
人が住めそうなくらい広々とした玄関のレイアウト替えを行っている。
絵の大きさをそろえたり、大きな絵の配置をみんなで考えて移動させたりして
時を忘れて夜中まで仲間と手を動かす。
一夜明けて、朝食を済ませた人たちの話し声で目をさますと、きょうの作業の分担をして、玄関の床を広げるためにホームセンターに角材を買いに行く人と分かれて、私は草引きをすることになった。
草引きーなんとやわらかな日本語があったものだ!
草取り、あるいは草むしりというのは聞いたことも使ったこともあったが
草引きは初めて。すぐにそのことばのすごさに驚くことになる。
日が高くならないうちにと急いで作業にとりかかる。
庭にあるラセンは、夏草でびしりと覆われて、早朝にヤママイが草引きを
見本でしてくれた場所だけ、中心に向かってまるで刈られたように、横倒しの
草が地面を覆っていた。
それに倣って風呂の椅子に腰かけながら、ラセンの外から内にむかって草引きを開始。午前中から日は照り付け、ラセンには草がつくる影だけがチラチラとまぶしく、羽虫が時折威嚇するようにブンと耳元めがけて飛んでくるが、不思議と怖くない。
昆虫の動物名をとったからかしらと思う。
石の淵にいる蟻やダンゴ虫は突然の出来事にあわてている。
草の影の上に、飛ぶ虫の落とす影を見て、ふと顔をあげるとマカオーネ、アゲハチョウだ。
チョウの羽ばたくかすかな音が聞こえた。
開いた足の黄色い長靴に留まるかしらと思ったら、どこへともなく見えなくなった。
開始して20分も経たないうちに首に巻いたタオルは汗で濡れタオルになり、
ラセンの石にぽたぽた2、3粒、顔から落ちた汗が刻印される。
草たちにしてみれば、私は突然現れたデストロイヤー。
ラセンを維持するために命を頂戴している。
だから草を引くという行為に思いを至らせなければならないと思うのだが
炎天下での作業では自分自身の状態にも気を配らなくてはならない。
水筒の水を少しずつ飲んで、塩を舐める。
おもしろいことにラセンが中心に進むにつれ、生えている草もまた違う。
中間部のドクダミを過ぎると、朝鮮人参のミニチュアのような形をした根をもつ
背の高い草が中心付近には多い。
中心付近は草がみっしりと生えていて、取り掛かる前は難攻不落のような気がしたが、背の高い草以外のほかの草が少なく、案外すっきりと地面が見えてきた。
前々日に降った雨で土がまだ湿っていたのも幸いして、楽に根ごと草を引くことができた。
このとき、草引きという日本語の意味がわかったような気がした。
聞けば引いた草は土を覆うようにすること。そして最後には草で煮出した汁を撒くとその土地にその草の成分は十分あると知らせることで、同じ草は生えてこないという。
またその土地に生える雑草は、その土地の住人に必要な草が生えるのだそうな。
だから家ごとに雑草は違う。
生えている草を見れば、住む人のどこが弱いのかわかるというのだ。
古来より植物と人間の深い関係がしのばれる。
人間が植物の叡智の恩恵を受けながら生きていることをいつも心にとめておこう。
ダマヌール東京センターのリニューアル作業はこれからも続きます。