障害あるなし関係なく、共に生きる


仕事柄、知的障害といわれる人々と私は強くかかわっている。


初めて、彼らに会ったとき、正直、怖かった。

だって、すべてが強烈なんだもの。


みなすごく個性的。

そして、表現がダイレクト。


もちろん恥ずかしがり屋さんや、全くコミュニケーションしない人もいるけれど、でも内面では何か感情のようなものが動いている。


彼らは、たいてい、いきなり、正面向いて、まっすぐコンタクトしてくる。

この、心の壁のなさは、いったい何なのだろう。

その魅力にまず、すぐにやられてしまう。

 

このまっすぐさに触れると、健常者といわれる人たちが、いかに病んでいるかを思い知らされる。

 

しかし実際、介助の仕事を通して感じる彼らは、純粋でもあり、ずるいところもあり、素直でもあり、えばったり、支配的だったり、優しいかと思ったら、急に暴力的でどうしようなかったり、ダダこねたり、いうこと聞かなかったり・・・・。

 

障害といわれるそれは、共に生きるのには、困難なことが多すぎたりするかもしれない。 

 

だから、共に生きようとすると、そこには逆転の発想と、ユーモアセンスが必要になってくる。

 

つまり、そんな発想の転換や、そんなセンスを、磨かせてくれる、そういったチャンスをかれらはくれる。

 

どんなに疲れる困難な彼らとの付き合いであっても、共に生きていきたいと思う。

そして、共に生きていくことは、私にとってキラキラな宝物でありつづけるのです。

 

M